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31 May

Tapies


今まで体験したこともない状況におかれると、どうしていいかわからなくなる。Antoni Tapiesの絵画を前にしたときの印象である。普通、絵画であれば画材(絵の具等)でもって何かを表現しているのが、見ている側に伝わるのだが、非定形ゆえに、目は作品を構成しているマテリアル(唯一の情報)に自然といってしまう。ダンボールを使ってるとか、新聞紙をつかってるとかで、それが何かを表現してるようには映らないから風景をみているような印象にちかい。(と気付いた)しかも、素材感があって、立体的であるがゆえに、まるで額縁の中のランドスケープモデルのようなスケール感をもっていてる。作品によっては原美術館に建築化しているようなものまであったりする。Tapiesのつくりだす物質のなかに宇宙を感じました。
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29 May

タイガー&ドラゴン


というよりは、ストーン&カッコウだが。夏目漱石と正岡子規は“寄席の話し”を交わしたことがきっかけで親交が急速に深まりました。ちなみに、漱石に子規を紹介したのは米山保三郎(天然居士)。お互い落語が大好きで熱心に寄席通いをしていた。子規は漱石を“畏友”とあがめた。この二人が日本文学に与えた影響は計り知れないものがあるが、この二人に影響を与えた“落語”とは、江戸から明治への転換期にあって、ひとびとの目にどのように映っていたのだろうか。日本語速記術が誕生して“噺”は音から文字に変換され、新聞という、その当時最新のメディアに言分一致の文章となって掲載され、ひとびとの目にふれるわけです。寄席だけでなく、日常的に落語があったということがわかる。さて、「タイガー&ドラゴン」では“噺(題目)”が“映像(場面)”にスイッチされたり、題目とストーリーとが立体的にからみながらドラマが進行する。ついに私の身体にも落語が入ってきた。笑いもあって泣きもある。まったく「しょうがないねぇ〜」である。
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28 May

安野先生


歴史・時代ものの小説を読み重ねていくと、現代が時間の流れ(つながっている)の中にあると実感するし、現代の情勢が身体に入ってくるような錯覚もおぼえる。そんなことを考えていると、気になる世界情勢を身体に取り込みたくなるもので、“これは古代から追っかけなければならないな”と今さらながら高校時代に教わった“世界史”がいかに大切なものかを実感する。ゆっくりと古代から読み進める、いったい、いつになったら現代にたどりつくのだろうか。その世界史について、あれこれ考えていて思い出したのが、大学時代の世界史の先生であった安野先生だ。建築学科は忙しい、課題をこなし、課題を作る資金を稼ぐために仕事をし、そして友達と遊ぶ。そうすると、睡眠時間を削るしかなくなるから、慢性的な睡眠不足になるわけで、ついつい授業中に居眠りををしてしまう。そんなときに、先生方の語り口によって睡眠の濃度(身体の回復度)が違ってくることに気がついた。その安野先生の語り口は、私の人生の中で一番“寝心地のいい”語り口といっていい。眠くなる(退屈)というよりは、脳がアルファ波状態になる。この世界史の講議は、出欠をとらないから出席しなくとも単位はとれる科目なのだが、身体を休めるためにわざわざ講議を聞いてた(寝ていた)。だから、いったい、何を教えていたのかまったく覚えていない。記憶にあるのは、その絶妙な(?)語り口なのです。今は、しごとでいろんな方々と話す機会はあるが、残念ながら、こういった語り口のひとにはお目にかかっていない。
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27 May

great white parkの歩き方その7


great white parkは広大な平野に点在する丘陵のひとつです。中東地帯の古代から存在する町や村には、今でも古代の町が幾層にも埋もれていて盛り上がった小高い丘が無数にある。それをヘブライ語では「テル」(遺跡丘)という。その“テル”のような丘が、この平野のあちこちに物でも撒いたように散在している。野がひろいせいか、あちこちに切り餅を置いたような丘陵と丘陵のあいだの窪みにはたいてい青い水が潜んでいて、そのつど空の色をたたえている。great white parkの周辺はこのような風景が地平線まで延々とつづくのです。靄でわかりづらいが、注意深く見渡すと、遠くに山や高層ビルが存在することがわかる。
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26 May

100年つながり


夏目漱石が雑誌「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を発表したのが、今からちょうど100年前の1905年(明治38年)。建築家前川國男が生まれた年である。100年つながりというだけで、この二人の共通点はとくにはない。お互い、犬好きであったということぐらいか。漱石は38才で小説家として人生をスタートして、わずか10年後に48才で亡くなっている。この死ぬまでのたった10年間で文章日本語のパクスを成し遂げた。方や、前川國男は81才まで生きる。前川國男がその力(無名の質)を発揮しはじめるのが1960年代からであるから、50代後半になってからのことである。建築家40代は若手といわれるが、前川國男の建築年表を見るとそれがよくわかる。(40代に何もしていないってことではない)この二人を比べたからといって何か発見があるわけではないが、もし漱石が80才まで生きていたら、と考えてしまう。しかし、私にとってこの二人の偉大な人物はその作品よりも人間そのものに惹かれるわけで、調れば調るほど、のめり込んでしまうのです。
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