blog

31 August

屏風ヶ浦へ


弘法大師空海がまだ少年だったころは海が善通寺のあたりまできていた。善通寺には、まわりに五つの山が茸のようにそれぞれ峰をつき立ててちょうど屏風をたてめぐらしたようなランドスケープをなしているため五岳山という山号がある。五つの山はじかに入江にのぞんでいて、そのかたちをとってこのあたりは屏風ヶ浦とよばれていたらしい。都から唐へ向かう遣唐使船は空海が四歳のときに、この讃岐の沖を過ぎている。
善通寺を訪れるのはこれが二度目になる。一度目は修学旅行なのだが、不思議と記憶に残っていない。駅から善通寺まで歩いている間は、ほんとうにここにあるのだろうかと思うほどに普通の町並みがつづいたのだが、国宝の五重塔が見えだしてきてから、自分の記憶が少しづつ蘇ってくるような気分になった。日頃から歴史が身体に入る前に、京都や奈良に行くのはどうかと思っていた。それこそ猫に小判ではないかと。ただ、その体験は小さな突起物となって記憶(身体)に残る。大人になってその小さな突起物に手や足をかけて再びこの地に向かわせたということは、修学旅行というものが、そうではないことを証明していた。歩くといろんなことを考える。
00:26:54 - spk - - TrackBacks

30 August

great white parkの歩き方その10


似て否なるもの。讃岐の風景にgreat white parkの世界を感じた。制作中は地中海バナキュラーをモチーフにすることから始まって、つくってはこわすといったプロセスを経て出来上がったものだけに、辿り着いたのが讃岐の風景であったことに妙な親近感をおぼえた。

風景のスケールが全くちがうのだが、風景の構成要素だけに目を向けるとg.w.pも平野に低い山(スパイラル・マウンテン)、そして池など相対的な構成要素のバランスが似ている。讃岐の風景を展開図にすれば、東西南北、屏風のように山々が重なる。g.w.pは山の数が少ない分、屏風のように山が重なってこないところが決定的にちがうところだ。讃岐のランドスケープが特徴的なのは、平野からは屏風のように見える山々が、高いところから見ると平野が緑で保たれていて(自然が建物の色を吸収している)“野のあちこちに物でも撒いたように”見えるところにあるのだろう。
00:26:50 - spk - - TrackBacks

29 August

讃岐のくにへ


“僧空海がうまれた讃岐のくにというのは、茅渟の海をへだて畿内に接している。野がひろく、山がとびきりひくい。野のあちこちに物でも撒いたように円錐形の丘が散在しており、野がひろいせいか、海明りのする空がひどく開豁に見え、瀬戸内に湧く雲がさまざまに変化して、人の夢想を育てるにはかっこうの自然といえるかもしれない。”
小説「空海の風景」の冒頭である。たった数行の文章だが、讃岐のランドスケープをみごとに描写している。と同時に、その特徴的なランドスケープは日本のなかの“別世界”を思わせてしまうものだ。夏も終わりにさしかかった頃に讃岐のくにへ向かう。小説を読んでいたときから、いつかは“空海の風景”の断片でもいいから見てみたいと思っていたからだ。飛行機の窓からみる讃岐の風景は、まさに小説の冒頭そのものであった。
00:13:43 - spk - - TrackBacks

19 August

前川建築の謎


建築家 林 昌二は、弘前にある八つの前川建築の形態の変化について、ひとつの疑問を抱いていた。「なぜ、コンクリート打ち放しの外壁から打込みタイルへと転換していったのか」と、あるいは、「その変化を境にして、作風が落着いてくるのはどうしてか」平良翁によれば「前川國男はリアリストになったんじゃないか」という見解であったが、林 昌二いわく建築技術の苦労の積み重ね(反省)によって培ったものがそうさせていったのではないかとおしゃっていた。弘前という冬の厳しい環境のなかで、モダニズム建築がもまれて日本のモダニズム建築へと昇華していったと考えると、前川の処女作「木村産業研究所」がもたらしたもの(反省)は、前川國男にとっても日本のモダニズムにとっても、計り知れないものをもたらしたといえる。もうひとつ、この弘前の地には、モダニズムの象徴ともいうべきフラットルーフをあきらめた前川建築の最初の建物もある。弘前城の桜の花を水平の屋根で切るのは不粋だというのが、その理由である。
00:51:08 - spk - - TrackBacks

18 August

poche


とは、建物のある代表的な階の床上1mの水平断面を、構造体を黒く塗ることによって、柱のプロポーションから天井の高さが想像でき、あるいは柱の断面の形状から建物の構成が示されるようなプロポーショナルな図面を作り上げる「構成の術」をいう。前川國男は設計のときにこの poche の部分をいかに減らすかが、これからの建築(モダニズム建築)に求められているものであるといっている。つまり、建材の省資源化、軽量化につながる建築を設計していかなくてはならないということだ。建築の技術力が貧弱な時代にあって軽量原理主義と言わんばかりに、軽くつくることに情熱を注ぎ、建築を進化させていった。たしかに、建築の歴史はこの poche が段々と減ってきていることがわかる。鉄板の構造体をもつ建物の poche は、もはや線(ライン)でしかない。現代の建築デザインは、表現上の軽量化や透明性に行き着き、建築の表現は、さらに自由なものになってモニュメンタルな造形の建築が多くつくられるようになった。コルビュジェによって定義されたが如きたぐいの建築「建築、それは陽光のもとでの形態のたわむれ−形態の巧妙にして正確かつ壮麗なるたわむれ」そのものといえる。
00:28:08 - spk - - TrackBacks