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30 September

開かれた美術館


丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館( MIMOCA )も芸術家と建築家(谷口吉生)の共同作業によってうまれたものだ。正面のメガホンのようなゲート・プラザがそれを物語っていて、“芸術家の自由”と“建築家の懐の深さ”を大いに感じる。そしてこの空間は市民に対して開かれた空間となっているため休みの日となれば、パフォーマンスを興じるひとびとで賑わっていることだろう。そんなことを考えていると、この建物(ゲート・プラザ)が古代ローマの神殿やフォルムのようにも見えてくるわけです。これらは直島の地中美術館と大きく違うところで、地中美術館の場合、皇帝のヴィッラといったところだろう。MIMOCA 自体はアート作品ではなく、あくまで空間として作品を包みこみ、それでいて開かれている。駅前の立地も含め、ひとに近い美術館といえる。

空間のヒエラルキーが明快で展示室を垂直方向に重ねつつも立体的にひとびとを回遊させることに成功している。それは展示室間のつなぎに作品へのアプローチを感じる役目にもなっている。そして常設の猪熊弦一郎作品に加え、ここでも「谷口吉生のミュージアム展」を見ることができたのである。つまり、讃岐の地で展示されている模型や写真の“二つの現物”を間近で体験することが可能なのである。
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29 September

現代アートのくに



香川県観光協会が発行している「香川現代アートガイドマップ」は、A4 版サイズ四枚つながりの冊子を折り込んだだけのシンプルなつくりではあるが、内容にまったく無駄がなく、わかりやすいガイドマップに仕上がっている。旅行ガイドだとアート情報は刺身のつまのように扱いが弱い、(うどんに負けてしまう)サイトをめぐれど、ひとつのサイトですべてが紹介されているわけではない。サイトの弱点は情報がいっぺんに飛び込んでこないから、ある程度根気を要する。見開きのマップと各美術館の紹介に階層はなく、情報が整理されて頭に入ってくる。地図の精度と情報の密度が合っていて、まさにガイドのお手本のようなつくりといっていい(プレゼンの参考にもなる)。
そして見開きのマップを眺めていると、まさに“現代アートのくに”のように思えてくるのだ。良質の芸術作品が大切にされていて、それが讃岐の気候風土と一体となっている。ランドスケープといい、歴史的風土といい、申し分のない環境だ。このガイドマップは県外でも入手は可能、発行部数が少ないため、入手は難しそうであるが、あらかじめガイドマップを入手することをお勧めする。まったくの余談なのだが、ローソンの“秋刀魚明太”が絶妙なコラボレーションを実現している。
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28 September

月の裏側


地中美術館の「オープン・フィールド」を見たあとに南寺を訪れた。本村のまちのスケールに見事におさまっている、住宅街で見受ける建築家の建物のような雰囲気はまったくないのだが、現代建築なのである。寺までのアプローチは細い迷路のような路地を辿っていく。境内では一旦、建物と壁にはさまれたスリットを通り抜けて壁づたいに入口へと進み、作品観賞についてのガイドを受ける。境内のデリケートなアプローチ空間はアート体験のはじまりを見事に果している。

そして、その先に見えるのは真っ暗な通路の入口だ。寺内の“漆黒の空間”は、ガイドの方がいなければ進むこともできないくらいに暗いのだ。建物入口からは距離はないのだがアート体験の深度が徐々に高まっていくのがわかる。暗闇に身を置くと時間をダイレクトに感じるので「Backside of the Moon」が目に映るまではガイドの方の説明よりも長く感じる。ひょっとしたら自分には見えないのではと思うほどに。五感と南寺のスケール(外観)をヒントに朧げな“月の裏側”に辿り着く、月には触れずともすべてが未知のアート(空間)体験であった。
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27 September

suna-onna


砂女と漢字表記すると妖怪のように思えてしまうが、そうではない。「砂女」は、やなぎみわの作品のひとつで、しかも新作である。わずか10分間の映像ではあるが、寓話的に語られる砂女の映像は、それに反して生物的に映しだされているので、ほんとうに存在しているように思えてくるから不思議だ(コスプレ的ではない)。それぞれの作品のスケール(世界)が原美術館の空間にあっていて寓話の要素が立体的に感じられる。ただ、厨房から漂ってくるガーリックの香りには閉口したが。私の場合、「砂女」、「テント女」をみて自然と連想するのは、妖怪唐傘お化けなのだが、実写化された妖怪で生物的に映し出されているものがないことに気付く、どれも様式的な部分が重んじられているためだろう、そう考えると水木しげるの影響力の大きさがわかる。なので砂女の姿かたちは、“生物的な恐さ”みたいなものを妖怪よりリアルに感じとることができる。恐さを姿かたちにストレートに表現するよりも実体がわからないままに俯瞰したほうが見る側の想像力が掻立てられて新鮮に映るのかもしれない。
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23 September

角屋(sea of time '98)


直島には街づくりの一環で「屋号マップ」というものを発行している。屋号は世帯主をあだ名で表したもので、同じ屋号はない。しかも屋号からは職業や立地が読み取れるように合理的にできている。昔からある主だった家には共通(形)の屋号プレートがついてる。プレートの素材が良く無いため経年変化で微妙にやられている(ちょっと詰めがあまい)。歴史のあるものに現代のアイデアを根付かせるのは難しい。
「角屋」は読んで字のごとく“角にある家”からつけられた屋号だ。「家プロジェクト」の最初の“家”。角屋に向かう途中、道ばたで野球をしている少年たちを見てタイムスリップをしたような錯覚を憶えた。“道ばた野球”は私の世代でさかんに行われていたもので、今では、見ることのできない光景といっていい。角屋(民家)の座敷きの中央は薄く水が張られていて水中のデジタルカウンターが生物のように各々変化してゆく。ぼんやりと眺めているうちにアートを見るというよりは風景を見ているような感覚になっていって居心地がいい。歴史にアートが入り込むと作品が置き物に見えてしまってがっかりすることがあるが、この「sea of time '98」は歴史も含めまるごと作品にしてしまっている。
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