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23 February

書の至宝


中学生の頃、書き初めでお手本を無視して王羲之と顔真卿を足したような“書の達人風の字”を小筆などを駆使して書き上げたら、これが同級生たちに非常に受けた。もはや書道というよりはレタリング(あるいはタイポグラフィ−)だったから、反則技を駆使して“描いた”ことになる。これで賞にでも入ったら大変だと、いらぬ心配をしていたけども、先生方にはお見通しだったようである。義務教育の書道はお手本第一で元気で大きい字が好まれる。
碑林を訪れてから「書の至宝」展に足を運ぶことは、西安に行く前から意図していたことだ。きっかけは最大限に活用したい。それにしても、自分のようなもの好きが博物館にたくさん集まっているものだと驚くばかり、もし王羲之の真筆が発見でもされたら、「死海写本」に匹敵する世紀の大発見といえるのではないか。
展示されているのはあくまでも“王羲之の書の臨書”あるいは法帖だ。ただ、臨書といっても“真筆を見て書いた”ことが歴史的、芸術的価値つくりあげていて、そこが他の諸芸術とはまったく違うところで興味深い。
唐の太宗が熱狂的な王羲之の書のコレクターでなかったなら、今日でも「蘭亭序」を拝めたかもしれない。
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17 February

碑の森


歴史背景をたどって碑文に書かれていることを鑑賞するほどの知識は、あいにく持ち合わせていないが、碑文の文字を美しい“タイプフェイス”として鑑賞することは可能だ。とはいえ、書聖と称される王羲之、顔真卿の碑を前にして“書道のお手本中のお手本”にやっと辿り着いたか、という思いもある。中でも、力強く、めりはりの効いた顔真卿の碑文は、幼いころの習字体験を思い起こさせるものであった。
西安の碑林は、質で最高、量で最大といわれる場所である。日本の書道愛好家などには垂涎の石碑芸術の宝庫といえるだろう。ポストスクリプトフェチの私にとっても同じ、タイプフェイスの宝庫といったところか。だから、書体に見とれて、どうにか持ち帰えれないだろうかと思うのは自然な衝動といえるだろう。そこで拓本という便利なお土産(?)がある。拓本は一種のコピー技術であるが、時間の流れに磨耗することがない普遍的な印刷技術ともいえる。印刷や写真とも違ってオリジナルの鮮度が高く、なによりも“実物大”であるということが尚よろしい。真筆の存在しない王羲之、顔真卿の書(拓本)を手元に置けるのはまったく気分が良い。
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16 February

Throbbing Gristle_8


ギリシア建築のエンタシスのような美しいフォルムは、まるで西安の空に吸い込まれていくようであった。密櫓式磚塔(多層仏塔)の傑作小雁塔に、その歴史的価値よりも美術的価値を大いに感じた瞬間であった。同じ多層仏塔である大雁塔とは建築様式が同じとはいえ、建物から伝わってくる印象はまったく別のものであった。デリケートなカーブと幾重にも重なった庇がスケール感と美しさを同時に創出している。特にこのカーブは現代的でJean Nouvelの「Agbar Tower」に通じるものがある。いったいどのくらいの年月を経てこのような意匠に行き着いたのであろうか。すくなくとも形に美しさを求めることは今も昔も変わらないはずだ。古代のデザイナーたちのストイックなフォルムの追求の痕跡が見出せたら歴史はぐっと近くなるだろう。
薦福寺の境内はとても穏やかで小雁塔の足下では現地のひとたちが太極拳をしていたり、ウォーキングをしていたりと、その動作がいちいち絵になっていた。
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15 February

華山へ


「華山(ホアシャン)だ」といわれて、街道で唐突に降ろされた。華山についての知識は、中国の古代の帝王が山の神を祭るために選んだ五つの山(五岳)のなかのひとつの“西岳”の華山ということだけであった。眼前の険しい山を見た瞬間、考えていた時間内で登ることは不可能だと十分に判断できた。ロープウェイがあるから何とかなるだろうと呑気な気分でいたのがそもそもの間違いで、ロープウェイがあるところまで登らねばならないことにその時になってやっと気付いたのだ。それよりも、この山のどこにロープウェイがあることすらわからないといった有り様であった。現地のひとは親切にもタクシーを呼んでくれたのだが、運転手いわく途中までしか行けないという。結局、現地のひとから「せっかく来たんだから正規の登山口から行けるところまで行ってこいよ」とか「ここで泊まって早朝に登ればいい」と、いろいろとありがたいアドバイス受け時間の許せる範囲で登ってみることにしたのだ。決心してしまえば、あとはゆっくりと登りながら景色を堪能すればよい。華山は薄らと積った雪によって、美しくも険しさをいっそう引き立てていているように思えた。気軽な気分で登っていると、いつの間にか山岳修行のような気分になってくるから不思議だ。山にはそういう力があるのだろうか。季節はずれの山登りも悪くないなと思うのであった。
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14 February

KARAKUSA


薔薇から唐草へ、空間(ハウス オブ シセイドウ)が tord boontjeの「KARAKUSAの森」へと変わってしまっていた。本来、二次元の模様であった唐草模様が切り抜かれ、空間に解き放たれ、空気や光りと絡まっている姿は、単純な仕掛けであるのにも関わらず、空間を劇的に変えてしまう力を持っている。見ている側が考える必要のないくらいに、ひたすらシンプルでエレガントなのがいい。しかもここに展示されている作品のいくつかは実際に購入することが可能で、そして驚くほど安価だ。この手軽さと美しさのバランスは“デザイン”と“アート”のバランスともいえるだろう。このバランスが展示された作品の魅力をさらに高めている。どおりで欲しくなってしまうわけだ。
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