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26 April

ふじようちえん


なぜか「GA HOUSES」に掲載されない建築家がいる。ただ単に二川幸夫の審美眼にかなわなっかったということであるが、この建築家の場合はそうとも思えないのだ。住宅以外の建築では「GA DOCUMENT」に掲載されているのに、真骨頂とも思える住宅建築がセレクトされないのは二川幸夫の期待の大きさゆえのことなのだろうか。妄想はロマンティックな方がいい。だから私は後者の考えでいる。
手塚貴晴、手塚由比の二人のつくりだす建築は、ひとの風景の中に建築が垣間見れるような、ひとがあって完成するような建築といえる。あの彫刻的フォルムの「キョロロ」でさえ、目につくのは活き活きとしたひとの風景であった。ギャラ間「手塚貴晴+手塚由比展」で展示されている「ふじようちえん」の模型は、子供たちの風景の中にみごとに建築が見隠れしている。それらを裏付けるかのごとく展示された無数のスタディー模型が、見るものに圧倒的な説得力を与えていた。
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21 April

PROJECT2006


「GA HOUSES PROJECT」と「GA INTERNATIONAL」、この二つの展覧会は、ギャラリー規模の小さな展示ではあるけども、さながらサロンのような印象がつよい。といっても二川幸夫ただひとりの審美眼で決まるものだから、毎年の顔ぶれは、“不同の布陣に新たな戦力が加わる”といった具合だ。「GA HOUSES PROJECT 2006」展は例年に比べて“新戦力”の印象がつよく感じられた。とくに、並列展示されていた“新戦力” 石上純也と坂茂の二つのプロジェクトは、住宅デザインに対する近視がちな自分の視点を正常にしてくれるものだった。同時にその振幅の大きさの中に未知の解法が無限に存在することも実感できた。まさに努力勤勉の時は今なりといった気分だ。モダニズムを程良く継承したklotz、ミニマルというよりはネオクラシシズム的なPawsonのプロジェクトに、なぜだか気持ちも安らぐ。もし、すべてのプロジェクトが執拗なまでの形態コントロール(表現)に終始しているものばかりであったのなら、こうは感じなかったであろう。
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19 April

ZEUEI FONTS(日本語版)


今まで様々な書体(フォント)を見てきたし、書の至宝といわれるものまで見たばかりであったのだが、さすがにその作品の前では足が止まってしまった。06東京TDCタイプデザイン賞の「ZEUEI FONTS(日本語版)」は加納佳之氏がこつこつと創り上げていった書体が新聞の紙面を埋め尽くすがごとくの作品だ。“日本語版”と言えども、作品から受ける印象は、デザイン元の書体(文字)が判明しない分オリジナル言語のようで別の世界の歴史的時間経過めいたものを感じとることができる。なのになんとなく読むことができそうなところが、見る側を引き付けてしまうところなのだろう。同時に、精密で気の遠くなるような作業量が一気に目に飛び込んでくるのも事実。これをタイプフェイスから書に変換するとまったく別の印象になってしまうのであろう。そういった展開を密かに期待したい。
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18 April

tokyo blossoms


巨大なアート作品を目にすることは、たいしてめずらしいことではない。それが単に置かれているものとして作品そのものに魅了される場合と明らかに周辺空間の秩序を変えて周辺環境を巻き込む場合とがある。後者のケースに遭遇することは稀であるといっていい。
原美術館の中庭、よりよって一番窮屈なところに置かれた花びらのような巨大インスタレーションは、一見“芸術家の気まぐれ”から生まれたものかと思ってしまうところだ。しかし、バルコニーから眺めると(鳥瞰すると)、まったくスケール感のないそのフォルムとそれを取り囲むモダニズム建築のオーダーによってスケール感を程よく麻痺させられるのだ。ハディドの花(作品)が醸し出すスケール感覚は日常にはない。スケールの焦点を作品から美術館、そして中庭で食事を楽しむひとへと移していく(あるいは逆)と目の前の風景がジオラマのように見えてくるから不思議だ。写真(フレームをつけると)にすると、それはいっそう顕著に現われてくる。おかげで、美術館の展示作品の印象がない。
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14 April

ART DECO IN THE CITY

新しく造られる建築に近代建築様式を見ることはなくなってしまったが、都市の印象(顔)は近代建築から受けるところが大きい。都市の骨格とまではいかないが、都市デザインを引き締めている要素のひとつといえる。そう考えると近代建築様式は過去のものではなく、“現代風景の熟成された部分”であることがわかる。
「都市に生きるアール・デコ」展に見るアール・デコ様式の風景(建築)写真は、まさに熟成された味わいのある風景であった。デザインに時間がかぶさっていくと風景になる。魅了されたのはアール・デコ様式の風景だけではない。それは、ライトのファンであった福原信三が資生堂の創業者である父福原有信のために依頼した「幻のライト作品」と称される「福原有信別荘」の数少ない記録と復元模型の展示であった。 関東大震災によって竣工後わずか二年で消滅してしまったこの別荘は、あまたのライト作品集に見られるきれいな建築(写真)とは違った印象を受けたのだ。1920年代の文化、芸術のサロンでもあっただけに、その歴史的価値を見い出さずにはいられない。
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