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27 September

奥之院へ


空海は、死んだ。
しかし死んだのではなく入定したのだという事実もしくは思想が、高野山にはある。この事実は千余年このかた継承されてきて、こんにちもなお高野山の奥之院の廟所の下の石室において定にあることを続け、黙然とすわっていると信ぜられているし、すくなくとも表面立ってこれを否定する空気は、二十世紀になっても、高野山にはない(「空海の風景」)
思わぬかたちで始まってしまった“空海をめぐる旅”は、いよいよクライマックスを迎える。一ノ橋を渡り,空海入定留身の地「御廟」までは距離にして1km 弱、老杉や桧が茂る中に20万基を超える墓や供養塔がならぶ。それらの墓石には時間の流れがありありと刻み込まれているのだが、奥の院はそこだけ時間が止まったような雰囲気なのである。老樹からこもれ陽がやわらかく空気に肌触りがあって高野山の中にあって明らかに特別な空間(場)であることがはっきりとわかった。「御廟」に到達するまでの間に“空海入定”に対する想像力は、目の前の風景によって現実になっていくような気分になっていた。灯籠堂を廻ると「御廟」はある。“ご入定”を実感するには十分過ぎるほどに現在進行形の「空海の風景」があった。
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24 September

スタスタ日和


自分でいうのもなんだが、完璧なスタスタ日和だ。お天道様よありがとうと言いたい。こういう日は仕事をしている場合ではないな。いざ、SDレビュー最終日のヒルサイドテラスへ。ローマ風に表現するなら“槇 文彦のフォールム”となる。まちづくりをしているとヒルサイドテラスがお手本として必ず上がる。しかし物を買うようにヒルサイドの環境を手にいれようとする考えからして的外れで、ここを歩いているとこの環境が別の街で成立するとは微塵も思えない。そのくらい繊細ですべてが備わっている。そのせいかSDレビューの作品の数々が異様なフォルムとして目に映ってしまうから不思議だ。 肌にふれる空気がやさしく、歩いているだけで気持ちが良い一日であった。
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22 September

SCHOOL OF DESIGN


どういうわけかジャック・ブラックを連想してしまう、「Graphic Wave 2006/ggg」。会場は四人のデザイナーたちのエネルギーに満ちていた。“ギッシリ詰まっている”そんな感じだ。贅沢をいうとひとりひとりの作品は個展で見ればもっと良かったに違い無い。年鑑を見ているいるようで圧倒されてしまうのだ。フライヤーにしてもいつもと変わっていた。表と裏がセパレートになっているのだ。念のため聞いてみると印刷を急いだわけでなく意図的にセパレートにしているという。粋に感じてNOTEBOOK(作品集ではなく)を購入したツルツルした紙でエスキスにはもってこいだ。
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21 September

Throbbing Gristle_12


高野山では様々な多宝塔を見ることができる。 上重塔身部が驚くほど細いものと屋根を載せているだけのようなシリンダー状のものと良く見るとその様式は様々である。両者に共通する円形の塔身部は日本の古建築に正円の平面が見られない分そこだけ現代のタワーに通じるモダンさを感じとることができる。饅頭型の下重も鴟尾に通じるフェティッシュさを感じる。二重の塔であるため高さをかせぐには塔身部に巨大なシリンダーをつくらねばならなく同時に下重の饅頭も大きくなる。「大塔」のスケール(迫力)は、まさにそこから生まれている。大きいものだけがいいわけではない、塔身が細くウエストを絞ったドレスのような多宝塔は、そこから折れてしまいそうな繊細なフォルムをもっている。
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19 September

青厳寺


大きな桧皮葺入母屋の妻側が正面にふたつ並ぶ、建築様式はシンボリックに集中するのではなくひたすら水平に展開している。寺院建築にみられる様式としては穏やかで風景的だ。高野山真言宗の総本山金剛峯寺の内部空間(本坊)は表の様相とは異なり空間と風景が巧に展開していゆく。その美しさの加減が行き過ぎず一歩手前できっちりと納まっていて居心地が良い。美的名物はそこかしこに見られるのだが、不思議と生活感があって置き物的な場ではないところが垣間見える。お寺の現在進行型(本来)の姿が見えるとちょっと嬉しい。
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