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28 September

内宮へ


アーノルド・J・トインビー博士は、夫人と共に神宮を訪れた際「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底的な統一性を感得する。」と書き残している。いくつかの伽藍しか経験したことのない私にとっては、場(空間)と対峙するうえでの貴重なヒントといえる。トインビー博士が何をもってそう感じたのかは、世界中のあらゆる場所にいってもついてまわることだから内宮の体験が程よい尺度となるのだ。
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27 September

外宮


忌火屋殿から北御門鳥居を抜けたあたりから左手後方に御正殿の千木と鰹木が遠望できる。太陽の光が甍覆と障泥板で反射して千木と鰹木が光り輝いているのだ。深い森の中でそこだけはとくべつな光景を目にしているようであった。別宮においてもそうでそこにだけ光が射しているようなのだ。
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19 September

伊勢に参る


五月を目の前にしてやっとのことで完了した浅草の仕事は、自身の“建築の10年”を締めくくるにふさわしい思い入れのある仕事になった。身体に残った心地よい疲労感にひたることなく伊勢へと向かった。“建築の10年”と“お伊勢参り”はまったく関係はない、頭の中にスペースができたので気持ちが伊勢に向いた、ならば参ろうではないかと。
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14 September

宝蔵の甍


浅草寺宝蔵門の本瓦葺き屋根がチタン瓦に葺きあがってから数ヶ月たつ。見上げれば本瓦と見まがうほだが、葺きあがったばかりの初々しさを感じとることもできる。その宝蔵門の本瓦が浅草のあちこちで見られるようになった。星霜を重ねた瓦だけになんとも風合いが良い。鬼瓦もまた然りで、間直でみると屋根の上にあったときとはちがう造形の迫力を感じることができる。
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13 September

別無工夫


建築の世界に足を踏み入れたとき、ほんの些細で雑用的なことからも考えねば、どうにもならないではないかということを知った。書生のころであったから気が遠くなるような気分になったことは言うまでもない。そんなことから「典座教訓」を読んだときに大いに腑に落ちた。書生のころに読んでいたらマニュアル本と勘違いしていただろう。“別無工夫”いい言葉だ。が、説明されたところでわかる言葉でもない。
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