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29 February

モエレ山


野外ステージよりまっすぐにつづく山頂までの眺めは、二年前に訪れた「秦始皇陵」を思い出させる風景だった。このアプローチを除けば、まったく山にしか見えなかったのだが、山頂までの直線のアプローチ(軸線)に入った途端に厳粛な風景へと変わる。山から古墳に迷い込んでしまったような錯覚は、山頂に近づくにつれて大らかな気分へと変わっていく。なぜなら山ではなく札幌全体が目に飛び込んでくるからだ。
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28 February

Tetra Mound


ステンレス製の“古代のフォルム”は太い円柱の組み合わせみよる三角錐と芝生のマウンドで構成されている。非常にシンプルな造形であるが作品が見せる印象は多彩で、数々の写真をみていてその印象は現物を見る前から気にはなっていた。彫刻のスケールが見る側の距離と角度そして時間によって造形に様々な表情をつくりだしている。
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22 February

HIDAMARI


モエレ沼公園プロジェクトが正式にスタートしてからのイサム・ノグチは彫刻よりも建築家の仕事に刺激を求めた。当時パリで建設中であった友人I.M.ペイ設計のルーブル美術館入館口の建設現場を見学している。【ガラスのピラミッド】に大きなヒントを与えたことだろう。ガラスでできた“古代のフォルム”は彫刻ではなく、まぎれもない建築であった。
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20 February

「遊び山


は彫刻を大地に関係づける私のあらゆるアイディアを生成せしめる核となった作品である。彫刻的風景としての遊園地の原型でもあった。」そして遊園地とはイサム・ノグチにとってひとつの世界をつくりだすことであって理想の国を縮小した形で建設することであった。私はウェブ上にささやかな公園をつくってしまったが、それこそ気分はローマ人であった。“理想の国を縮小した形で建設すること”とは建築家ならだれしもがもつ自然な欲求であろうが、その実現は奇跡にちかい。
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08 February

最後の仕事


「イサム・ノグチ/宿命の越境者/ドウス昌代」最終章“さようなら、夢追い人”を読み返している。その最終節「最後の仕事」に書かれている【モエレ沼公園】誕生に至るまでの過程は、半世紀にわたる芸術家の執念(遊び山構想)そのものであった。ノグチはその完成を見ることなくこの世を去ってしまったが、芸術家の集大成は、もはや地球の一部と化してしまった見事なランドスケープとなった。
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