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28 March

行基葺き


元興寺東門にて、「小子房から振り返って極楽坊本堂、僧坊の屋根を見よ」とありがたい指導を受ける。かつて法興寺(飛鳥寺)の屋根に使われていた甍を見ることができるからだ。飛鳥時代の瓦博士が造った“日本最初の瓦”は「行基葺き」といい、全体にテーパーが施された丸瓦が重なるように葺かれている。千四百年の星霜を感じさせる瓦の色と相まって本瓦葺きにはない独特の陰影をつくりだしている。
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20 March

春日大社


「されば排仏の事決せらるゝや驚愕甚だしく、四月十三日両院家先づ復飾を願いでると、一山衆徒を之に倣って復飾を願ひ…。」廃仏稀釈によって興福寺の僧たちは春日大社の神職にさせられた。
三条通、興福寺から春日大社の表参道までは、まっすぐな道である。神苑に入ると、大らかな環境(広場)から清浄な地(森)に足を踏み入れたように空間の肌触りががらりと変る。天気の境目にいるような感覚。
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19 March

Throbbing Gristle_17


「どういうひと達が、どんな思考を経て、最初に日本独自の形式である五重塔をつくったのか」は、建築史で触れられることはなく部位の説明だけで通り過ぎてしまう。
興福寺が廃仏稀釈の標的にされて廃寺同然になってしまった時期に五重塔が、わずか二十五円で売りに出された。買主は商人にあった。薪にしようとしたがこわすのにたいへんな労力がいるとわかって、金目の金具だけでも剥ぎとろうとしたが、その作業でも金がかかってしまう。ついには燃やして金具をあとで拾えばいいと思いついたが、天にのぼるような巨大な炎をあげられては、火の粉がどこに飛ぶかわからない。結局商人は買うことをやめた。かつて二十五円で売りに出された五重塔は、現在では奈良のシンボルとなっている。
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13 March

「あおによし


寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花のにほふがごとく今さかりなり」奈良公園の広大な空間はかつて興福寺の境内であった。明治初年の廃仏稀釈の標的にされて堂塔伽藍あらかたが破棄され廃寺同然になってしまった。明治政府はその行き過ぎに気付き「古社寺保存金制度」を実施し、後に興福寺趾をふくめて奈良県立公園が設立された。大らかなランドスケープに天平様式の屋根が映える。
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12 March

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東大寺二月堂修二会は2008年で1257回を数える。752年から一度も途絶えることなく続けられている「不退の行法」に興味を持つようになって数年が経つ。初夏の二月堂には訪れたことはあったが、いよいよこの時期(三月)に向かうことができた。鹿のお出迎え、ちなみに鹿は小さく「メェ〜」と鳴く。
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